2011年12月31日土曜日

新年の準備

暮も押し迫った晦日の朝、築地に買出しに出かけた。
以前築地に勤務していたころ、覚えた習慣だ。
マグロぶつ、ほほ、サクや、春子鯛、ウニなどを購入した。
築地から戻ってから、自転車の整備をした。これも新年の準備だ。
スプロケについた砂やホコリを掃除したあと、バーテープを交換した。
これまで赤系のものばかり選んだが、黒にしてみた。

なんだか、地味にまとまったっ感じだ。まぁいい、また古くなったら変える消耗品だし。
2011年の走行Odoは約7985kmとなった。

夜は、自転車チームの仲間と4人で忘年会を開催。
今年一年を振り返った。
春の筑波サーキットでの8時間耐久レース、ヤビツ峠への挑戦、江ノ島への遠征、鮭の遡上など、様々な思い出が蘇る。
しかし、サイクリストは三者三様だ。速く走る人もいれば、遠くまで行く人もいる。山専門の人もいれば、平地しか走らない人もいる。高い自転車を所有する人もいれば、衣装に凝る人もいる。
それぞれに目標があり、理想がある。
4人で語り、互いの話を聞くうちに、そんなことがわかった。
そして、2012年も共に走ろうと誓い合った。
ありがとう。
私は同志と走ることが好きな人なんです。

2011年12月13日火曜日

強風下を走り、激流を登る。その4(終わり)

さて、鮭の遡上を観察すると、そろそろ腹が減ってきた。
腹が減っては戦ができぬと、吉田松陰先生は川魚を食べれる場所へ案内してくれた。
川魚は、その昔祖母ちゃんの家で食べた鮒の煮物依頼かもしれない。

松陰先生は「ナマズ」を、赤イルカは「ホンモロコ」を注文した。
お互い御裾わけして、いただきました。
なまずの天婦羅
ホンモロコの天婦羅
ナマズはその外観の想像に反して、あっさりとした、軟らかい口当たりで美味しい。
ホンモロコは一口サイズで、クセもなく、こちらも美味しくいただいた。

そしてお腹を満たして、追い風を背に受けながら、帰路を進む。
武蔵水路をひた走り、「埼玉古墳群」の公園を通過した時に事件が起こった。
疲れからか、集中力を欠いた赤イルカは、右側の安全確認に気を取られ、松陰先生に追突、これを避けようとしてバランスを崩し、転倒してしまった。
しかし怪我もなく、直ぐに起こして再出発した。
・・・ところがである、この夜、疲れでグッスリ寝るはずが、左手首の痛みで目を覚ましてしまう。
翌朝、念のため医者に見せるとこうなった・・・
「注意一秒、怪我一生」
よく工事現場などで見かけるが、まさしくその通りだ。
これからは、まず止まって左右確認を励行しよう。

しかし、楽しいツーリングができたのは吉田松陰先生のおかげ。
本当に感謝しております。

最後に先生がくれたルート図を、先生のサイトから紹介する。

http://pencom.cocolog-nifty.com/penpen/ より
この日の走行距離、167km。
楽しくもヘロヘロの一日だった。

2011年12月8日木曜日

強風下を走り、激流を登る。その3

さて、カスリーン公園で先人達の偉業を再認識したのち、再び強風下の利根川CRを走る。
すでに12時を回っていたので、走り始めてから既に6時間近くが経っていた。
そしてついに到着したのが、この場所だった。
案内していただいた吉田松陰先生ことKさんに感謝だ。
そこには「坂東太郎」こと利根川が、満々と水を湛えながら悠々と流れていた。
風はさらに強く感じた。

さて、本日の目的を果たそう。鮭の遡上を観察するのだ。もちろん初めてのことだ。しかし、この強風で荒れている水流の中、ホントに鮭が登れるのだろうか? 

さっそく下に降りてみると、観察のためにガラスを通してのぞける窓があった。

なかなか鮭は現れない。そしてここで待つこと20分。 ついに鮭の尻尾を目撃!鮭は本当に登ってきた。 一瞬なので、残念ながら写真には撮れなかったが、彼らは果敢に流れを遡っていた。
自分のこれまでのヘタレを省みた。
先日の富士山では、激坂の連続に弱音を吐き、この日の利根川CRでは風速10mは超える激風に悲鳴を上げて来た。 会社や世間では、周りの言うことに流され、決して抗うことない自分。

死を覚悟して登る鮭。
鮭は上流まで遡上しなくとも、臨海で産卵してもいいじゃないかと思う。しかし、彼らは命をかけて登る。これは次の命を繋ぐため、子孫を守るために、彼らしかわからない理由があり、必須の行為なのだと思う。全ての生物は次の命が脅かされる時、自らを省みずその妨げを取り除こうとするのだ。その行為こそが、鮭が遠く海から離れ、川を遡上することなのだろう。

つづく




2011年12月6日火曜日

強風下を走り、激流を登る。その2

強風の利根川CRをひた走る。
膝の痛みは改善されないが、時々ダンシングすることで、屈伸運動のような効果を得ながら、少し復活しては進む。
埼玉県加須市に入って、途中で道の駅「童謡のふる里おおとね」等を先生に紹介してもらった。「いがまんじゅう」は有名で、とても大きな饅頭が販売されていた。
http://www.smdc.or.jp/gochisou/tobu/kazo.html#02 より



そして次に吉田松陰先生が教えてくれたのが、「カスリーン公園」だ。先生が「カスリーン台風って知っていますか?」ときかれて、先日NHKのブラタモリで見た番組の内容を思い出した。終戦直後に日本列島を直撃した大型台風で、GHQ統治下だったため、キャサリンの名前がついたと番組で得た知識を思い出した。そこには、その記念碑が建てられていた。
ここで初めて知ったことがある。この写真を見たときには衝撃を受けた。葛飾区亀有は、私の住んでいる地区の隣町だが、そこにもカスリーン台風による被害により、洪水が発生したのだった。

しかし、亀有だけでなく、利根川、荒川がことごとく決壊し、タイの洪水災害のように大きな被害がだし、死者は1千人を超えていた。
そして、日本の先人たちは、災害に立ち向かうために、堤防を築きあげたのだった。一大プロジェクトである。川の流れを変え、蒸気機関車が土を運び、それを人々が積み上げた。

写真を見ると、女性も働いている。私たちは偉大な先人が積み上げた堤防の上にできたサイクリングロードを走らせてもらっているのだ。私たちが気持ちよくサイクリングできるのは、戦後の昭和を支え、災害と戦った人々のお陰なのである。

そのサイクリングロードを走っている自分。もう風が強いと、文句をいうのはやめよう。利根川は悠々と流れ、西には富士山が見えている。ありがたいじゃないか。

つづく

2011年12月5日月曜日

強風下を走り、激流を登る。その1

今日は、サイクリスト仲間から吉田松陰先生と呼ばれる、上級サイクリストのKさんのご案内で利根大堰まで行ってきた。
江戸川CRを進んで、まず関宿に到着。
しかし、この日は風が強かった。風速15m/sはあろうかという強風だった。
利根川CRを北に針路をとれば、左から正面にかけて、風を受け、行く手を阻まれた。
サイコンに目をやると、15km/hの速度を指している。
CRならば25~30km/hで走りたいところなのに、思うように自転車がスピードにのらない。
まるで、かるい坂道を登り続けている感覚だ。
ここでかなり脚を使ってしまった。徐々に右足の膝に違和感を感じてくる。

コンビニで休憩をとった際に、そのことを先生に相談した。
「軽いギアを選んで、ケイデンスを上げた方がいいです。」
先生のバイクを見ると、チェーンケースをみるとインナーにセットされていた。
師いわく、「私はいつもインナーです。」と。
インナーを使うのは、激坂を登るときだけだと思っていたので、‘目から鱗’の思いだった。
出発して試してみる。インナーにチェーンを落し、スプロケも軽いセッティングだ。
これで先生についていこうと頑張ると、ケイデンスは100以上回さないとダメだった。
しかし確かに筋肉への負担は確かに軽い。

風は11時を過ぎても、おさまる気配もない。
無事往復できるか、不安を感じ始めながら、ペダルを回し続けた。

つづく

2011年11月27日日曜日

SPD通勤開始

白石峠へのチャレンジが終わったので、ペダルとシューズを変える。
これまでのペダルは「SPD-SL」というもので、ロード専用のものだが、通勤には適さないものであった。
ツーリングの時は専用のシューズを履けるので、なくてはならないものだが、普段の通勤では適さない。プールに寄ったり、会社のエレベータにのったり、SPD-SLでは歩き方がヘン!

そこで「SPD」とフラットペダルの二つの顔を持つ、「片面フラぺ」(片面はフラットペダル)の交換した。

これで明日から、SPD通勤ができる。
シューズもカジュアルなものに変える。一見普通のスニーカーにみえるが、裏にはSPDのクリートが付いている。しかも普通の靴で乗る際には、もう片面のフラットを使える。
このシューズならば、カジュアルな服装にも向いていそうだ。

2011年11月23日水曜日

嗚呼!白石峠

モデルでサイクリストの日向涼子さんの呼びかけで「東日本大震災チャリティーライド」が開催された。
http://www.cyclisme-japon.net/modules/eguide/event.php?eid=554

かねてから日向さんのファンなので、Facebookでイベント告知された際には、真っ先に参加を申し込んだ。

そして暫くして発表されたコースがこれだ。
http://yj.pn/Q9xnUB

山岳コース?じゃないか!!
それならばとホイールを交換して、輪行(電車)で出かけた。
会場に到着すると、沢山のサイクリストが集まっていた。
コースの説明が終わると、自転車の点検をして、出発。

Facebookで知り合った方達とご一緒させてもらった。
しばらくは、なだらかな道が続いたが、山に差し掛かると、急坂が連続した。
今回は、ダンシングを積極的に使い、脚を疲れさせないペースで登ることができた。
シッティングでは、なるべく前に乗ることを意識して、平地とは違う筋肉を使った。

そして「お疲れ様です」と、坂を登りながら、日向さんが声をかけてくれた。
なによりもパワーがでる。
(といっても、日向さんの速さについていけない・・・)

そして白石峠に到着。すでに着いていた人も多い。
そして峠から見下ろすと、紅葉した山々が見えた。
「来てよかった」

参加賞をたくさんいただきました。
そして「完走証」も。

サイクル誌「funride」に取材模様が掲載されるらしい。とても楽しみだ。

本日の走行距離71km
獲得標高差:約1500m

2011年11月21日月曜日

レッドドルフィン号、最後の戦い

今週の水曜日は祝日である。
勤労感謝の日だ。私は大した働きは出来ていないが、勤労者と認めてもらえれば感謝される日だ。
しかし、感謝される日に峠に向かう。

場所は埼玉県の東松山。白石峠と高篠峠を回り、距離こそ70km程度だが、最大標高差731m。
チームメイトには、かなり厳しコースだと言われた。しかも今回は単独参加だ。

必ず完走し、脚をつかずに登り切りたい。


ところで、このイベントへの参加が済んだら、レッドドルフィン号を少しデグレードしていこうと思う。
現在のSPD-SLペダルをはずし、SPDにする。シューズもそれに合わせて、レーシーな物から、スニーカーのようなものにする。


スタンドを着けて駐車しやすくしよう。重くなるからと嫌がったサドルバックをもう一度つけよう。安全に通勤するための自転車にしていくつもりだ。

レースやツーリング用のバイクを注文した。
初めてロードバイクに乗ることになる。
だからレッドドルフィン号で、峠に登ることは、おそらくこれが最後ではないだろうか。
最後の戦いは、2つの峠越えだ。
今日まで7500kmの「ローディへの道」をひた走ってきた。
がんばろう!レッドドルフィン号

2011年11月13日日曜日

レッドドルフィン号の車窓から Vol.28【外苑前】

11月とは思えない陽気だ。
こんな日は都心へのポタリングがいい。
もうそろそろ外苑前の銀杏が色づくころではないだろうか。
秋葉原、春日を抜けて、向かう。
迎賓館に到着して、一休み。
バッキンガム宮殿前とパルテノン神殿?
ちょっと欧州気分の写真だ。
しかし外苑前の銀杏は、まだ色づいていなかった。
紅葉が見れなかったが、楽しいライドができた。

2011年11月7日月曜日

サイクルモードで決めました

サイクルプラス(行きつけの自転車屋)でサイクルモードのチケットをもらい、出かけてきた。
初めて行ってみたのだが、とても楽しかった。写真をたくさん撮ったので、今回は説明よりも写真中心で投稿します。

まずはお気に入りのリドレーから。


入門機として位置づけられるORIONはカーボン製で2色用意されている。




上位機種のEXCALIBURはフレームセットが用意されている。カラーはこの赤黒と白黒が用意されていた。せっかくなので試乗してみた。
山岳王が乗るべきバイクもありました。
お次はコルナゴ。迫力のTTバイクの他、ブースには有名選手も来ていました。
さてお次は何となくセクシーさを感じるDEROSA。
このブランドはロゴのハートマークが何とも可愛い。

そしてご存じPINARELLO(スペル違うかな?)です。

ピナレロといえば、この特徴的なフォークが注目を集める。
グリーンカラーがトレードマークのBianchもこんなクールなカラーが出ていた。


ウィりエールは美しいカラーリングのフレームを展示。
日本のブランドからは、まず老舗のパナソニック。
そしてブリジストンのアンカー。
ふと、隣のブースをみたら、女性サイクリストのMOCOさんを発見。

デモンストレーションのペダリングは速かった(^O^)/
そして最後はサーベロだ。
高級フレームがズラリ。
さて、まだまだあるのですが、疲れてきたのでこの辺で。
そうそう、タイトルにあるように、ここで見てきたバイクを次期主力戦闘機に決定しました!!
納品はまだ先ですが楽しみです。