2011年4月23日土曜日

心肺が心配、だから日の丸キャップに学ぶ

ようやく早朝営業が再開したプール。
バイクで熱くなった脚を冷やす効果があるようで、ジテツウの朝には欠かせない。
しかし、頑張りすぎると逆に疲労が残るので、バイクの後のご褒美としてゆっくりとリラックスして泳ぐことを心がけている。

するとその時だった。
横のレーンで泳いでいた人に抜かれた。
水着から女性だった。
朝のプールは若い女性など来てるわけなく、年配の女性が多い。
そして、抜いていく姿からバタ足している様子がない。
「なに?」と思い、水をかく腕に力を込める。
しかし追いつけない。
ターンしてもダメ。
あきらめてしばらく泳いだ後、顔をあげた。
すると隣のレーンに悠々と泳ぐ女性が見えた。
なるほど小さいビート板を脚に挟んで、クロールの手の動きだけで泳いでいる。
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h1swim/h1kn20/h1cr50/h1cr51g1.jpg より
そして・・・白いキャップには日の丸が!
小さくJAPANの文字。
http://ec3.images-amazon.com/ より
良く観察すると(いやらしく思われないように)一回、一回呼吸を入れている。
それでスピードをいじしているのだからスゴイ。
早速マネしてみる。
なるほど有酸素運動に基本だろうか、リズムよく心肺機能を使える。
これを続けることで心肺機能がアップできればと思う。
レースまであと2週間を切った。
すこしでもベストな状態に近づけていきたい。

2011年4月20日水曜日

まわれ105クランク!

今朝は10日ぶりにジテツウ再開。
そして105クランクに換えてから初めて走ってみた。
結論・・・よく解らん!
信号待ちなどで、スタートダッシュするときは、確かに脚が軽くなった感があるかもしれないが、微妙な変化だ。
しかし、初めて105を装着したことで意識が上がったのは間違いない!
まわれ!105クランク!


http://cycle.shimano.co.jp/より

ところで・・・自転車力が低下したと感じた。
10日走らなかっただけで、すごく体力が落ちてしまったようだ。
向かい風ではケイデンス90なんてとてもムリ。
70すらキープできていない。
5月のレースまでに調整してゆこう。
すっかり花を散らした桜の前で撮影。

2011年4月19日火曜日

105クランク、インストールコンプリート!

ポーランドに旅行に行っている間・・・。
レッドドルフィン号はサイクルプラスに預かってもらっていました。
(スペシャルサンクス、サイクルプラス)
その間に、BBのギシギシ音を解決してもらいました。
そして、初めて105系のパーツをインストールしました。

BBもshimanoに交換して、クランクセットを105に!
これは自転車仲間(先輩)のEさんのご好意でインストールできました。
ありがとうございます。
明日からジテツウ再開!
5月のレースに向けた調整を行う予定。
頑張る!!

2011年4月18日月曜日

ポーランドへの旅

しばらくブログをお休みしておりました。

実は8日間の日程でポーランドに行ってきました。
その話を少し書かせてください。

自宅をホストファミリーに登録して2年になります。
初めての迎えた留学生はポーランドから来てくれた可愛らしい女子高校生でした。
その子がハタチの誕生日を迎え、その日に合わせて彼女を訪ねたのです。

海外留学生を預かると決めた時から、来てくれた留学生の母国を訪ね、再会するのが夢でした。
夢がかなったわけですが、それは想像を超えた、とても素晴らしい旅でした。

11時間以上の飛行を経て、ワルシャワに着くと、翌日には大学のクラスを終えた彼女が私たちをホテルまで迎えに来てくれました。変わらない笑顔で「すごい!すごい!」と飛び跳ねて喜んでくれました。ワルシャワで会えるなんてホントにすごい!


その後、大学で知り合ったボーイフレンドを紹介してくれました。彼も勉強中の日本語で一生懸命話してくれました。さらに翌日、彼らは私たちに電車のチケットを用意してくれ、クラクフという街に案内してくれたのです。車中で楽しそうに話す2人を見ていると、なんとも微笑ましく、幸せな気分でした。彼女を笑顔にしてくれた彼に感謝する気持ちを覚えました。こんなの初めてです。


最終日には自宅に招かれ、ご両親と彼女の幼なじみとともに手作りのポーランド料理を楽しみました。ご両親も昨年来日され、既にお会いしているので、久しぶりの再会になります。ご両親はとても素晴らしい方で、彼女が多くの友達に愛される理由がわかります。両親は小さいころから娘の成長を映像で記録し、映画のようにまとめ、それを私たちに見せてくれました。美しい彼女は子供のころからテレビCMに出演していました。でもそれもそのはずで、お母さんはポーランドでも有名な女優なのです。料理をテーブルに並べ終わると、「ごめんなさい、舞台があるの。ゆっくりしてください。」と自宅を出て行きました。

そして日本が大地震で被災したこと、今も原子力発電所が不安定であることも、皆が知っていて心配してくれました。
ワルシャワは第2次大戦の局地戦で、多くの人々の命と共に、歴史的建造物のほとんど全てを失いました。博物館では焼け野原となった市街地が記録されていました。しかし、彼らはその歴史的建物を再建し復興したのです。建物の形や色、ヒビまでも再生したと言われています。日本も戦争から立ち上がった国です。共通する思いと共に、震災から復興へ向けて、出来る限りのことを頑張ろうと思いました。

とても素晴らし旅になりました。
ポーランドのハタチになった愛する留学生に感謝しています。
ワルシャワの地下鉄や博物館の前で何度も待ち合わせしました。
そのたびに笑顔で手を振ってくれました。
ありうがとう。